昭和40年代/250余年のあゆみ(歴史)/企業情報【エスエス製薬】

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250余年のあゆみピョンちゃんのあゆみ

  • 江戸創業期
  • 明治~大正
  • 昭和初期
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  • 昭和30年代
  • 昭和40年代
  • 昭和50年代
  • 昭和60年~平成8年
  • 平成9年~平成28年
  • 平成29年~
【江戸創業期】漢薬本舗「美濃屋薬房」創業
【明治~大正】繁栄から試練への明治・大正
【昭和初期】「株式会社瓢箪屋薬房」そして「エスエス製薬」へ
【昭和20年代】戦後の復興と事業拡大
【昭和30年代】新生エスエス製薬と工場の近代化
【昭和40年代】株式上場、信頼されるメーカーとして
【昭和50年代】使命、チャレンジ、変革
【昭和60年~平成8年】海外メーカーとの新たな提携
【平成9年~平成28年】コンシューマーヘルスケアの担い手として
【平成29年~】さらなる飛躍を目指して

【昭和40年代】株式上場、信頼されるメーカーとして

株式上場への道

昭和40年(1965年)には、チェーン会員1万店確保を目標にチェーン活動を推し進めていくことが決定し、営業活動の一層の充実を図るため、大阪支店新社屋を建設。製品ではビタミン剤「ネーブルキャップ」「ユースゲンベスト」、ドリンク剤「エスカップE」、風邪薬「エスタックW」を新発売。またこの年はじめて従業員数が1000名を超えました。
昭和42年(1967年)にはビタミン剤「エスファイト」を発売。システイン配合のエスファイトは独創的なビタミン剤として脚光を浴びました。


写真:当時の主力製品


写真:東証第二部上場
(当時のエスエスチェーン通信)


写真:浜町本社

昭和44年(1969年)、8月に東証二部に上場。一般公募の結果、資本金は6億7000万円となり、従来、株主が顧客であるエスエスチェーン店であったのに代わり、社会の公器としての道を歩むことになりました。しかし同時に、エスエスチェーンは一つのステークホルダーという存在となり、新たな経営体制へ脱皮していく責任がともなうことになりました。また11月に新しい本社社屋を、現在と同じ日本橋浜町に落成。更に同年、医療用医薬品に進出すべく医薬品部が新設され業務を開始しました。チェーン会員は1万732店。上場を記念して1株当たり1.5円の増配を行いました。

昭和45年(1970年)12月には泰道照山社長が会長に就任し、森山喜由副社長が新社長に就任。そして翌年の昭和46年2月1日、東証一部へ指定替えが実現。東証二部に上場して以来わずか1年半足らずで当時の最短記録でした。9月には横浜工場が落成し、さらに念願の売上100億円(営業ベース)をついに達成しました。
昭和47年(1972年)5月には、新しいL-システイン製剤として「ハイチオールC」を発売。またこの年、エスエスチェーン薬局に新しいアイドル「Vサインピョンちゃん」が誕生しました。


写真:「ハイチオールC」発売

当時のピョンちゃん
1967年/4代目「シェイクハンドピョンちゃん」
1972年/5代目「Vサインピョンちゃん」
【昭和30年代】新生エスエス製薬と工場の近代化
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【昭和50年代】使命、チャレンジ、変革