250余年のあゆみ

昭和30年代

新生エスエス製薬と工場の近代化

水天宮本社

写真:水天宮本社

新生エスエス製薬

大変厳しい状況下、新生エスエス製薬は全社一丸となって会社再建へと向かっていきました。まずは製品で滋養強壮アンプル剤「エスタロンゴールド内服液」がヒット。そして組織一丸の強化として全国連合部会長会を発足。また『エスエスチェーン通信』を再刊行。会員数もわずかながら増加し(4993店)、社内には徐々に新清の気が甦りました。

 

エスカップ

写真:エスカップ

昭和38年(1963年)、本社を銀座から日本橋の水天宮前に移転。成田工場の建設にも着手。製品では、主力のドリンク剤である「エスカップ」を発売し大きく売上を伸ばしました。またシンボルマークのうさぎに名前をつけることにし、一般公募した結果、「ピョンちゃん」に決まり、今日まで親しまれるキャラクターとなりました。

ピョンちゃん名前決定

写真:ピョンちゃん名前決定


昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開催年には、念願の成田工場が第一期工事を完了し、ただちに操業を開始し、以降拡充を重ね当社生産活動の中心的存在となりました。

成田工場の建設と成田市

成田工場建設成田工場は、成田山新勝寺の門前町である成田市の企業誘致第一号として進出したものです。生産活動の進出当時の成田市は、新勝寺のほかにはこれといった近代工場施設もなく、豊かな田園風景が広がっていました。
成田市はその後、新東京国際空港(現在の成田国際空港)の開業もあり、工場周辺の環境は一変し、同市は国際都市として知られるようになります。

写真:成田工場建設

当時のピョンちゃん